井の頭恩賜公園のあゆみ|9話 |江戸時代の井の頭、桜の花は咲いていた?

『いのきちさん9号 2013年3・4月号』 連載《井の頭恩賜公園のあゆみ 9話》

井の頭公園といえば、都内有数の桜の名所。七井橋の東側の「ボート池」を染井吉野がぐるりと囲み、水面が桜色に染まります。
その幽玄な光景に惹きつけられ、近隣はもとより遠方からもたくさんの人が訪れ、日夜たいそう賑わいます。そんな井の頭名物の桜ですが、江戸時代はどうだったのでしょうか?

江戸時代の井の頭、桜の花は咲いていた?

寛永十三年、井之頭弁天堂の境内に百本の桜を植えたのは、三代将軍の徳川家光。寛永八年の旱魃(かんばつ)の水加持で御利益があり、宮社を建てて桜も植えたというのです。
『神田御上水源井之頭弁財天略縁起』に記されています。

『略縁起』は弁財天の持ち寺である大盛寺の私的な記録で公的な史実とはみなされませんが、井の頭の桜に触れた最も古い記述です。寛永十五年(1772)に記されたとされています。

当時の「境内」の範囲が分からないので単純に比較できませんが、現在約450本(西部公園緑地事務所2009年調べ)の四分の一弱とはいえ、十分に見応えがあったことでしょう。

ところが、江戸時代の書物をいくつも紐解いても、桜の記述は見あたりません。大田南畝の『遊井頭源記』しかり、古河古松軒の『四神地名録』しかり、斎藤幸成の『江戸名所図絵』しかり。歌川広重が残した井の頭弁財天の浮世絵2枚にも、いずれも桜は描かれていません。

私が探した範囲ですが、唯一見つけたのは、府中市郷土の森博物館所蔵の『小金井府中六社井の頭弁財天画帖』の三連作の『井の頭』です。現在は大盛寺が建っている丘に、花盛りの桜が点々と描かれています。

現在主流の染井吉野は、幕末から明治にかけて人工的に開発されて広まったので、家光が植えたのは山桜の種類だったと推測されます。その寿命は150〜200年なので、ここに描かれている桜は、家光が植えたものだったかもしれません。

ちなみに毎年四月に弁天堂で行われる「大祭」も、家光の水加持以来続く伝統的な行事といわれます。今年は巳年。十二年に一度の弁天様のご開帳もあります。お見逃しなく!

※『小金井府中六社井の頭弁天画帖』の『井の頭』の絵図は、府中郷土の森博物館の許可を得て掲載しています。作者不明。安政三丙辰年(1856)「三月十六日」の日付があります。

※『いのきちさん』は株式会社文伸さんが2011年11・12月号から2017年11・12月号まで、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞として発行していたフリーペーパーです。井の頭公園の歴史について合同会社いとへんの安田知代が寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

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長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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