井の頭恩賜公園のあゆみ|24話 |「日本橋」の石灯籠

『いのきちさん24号 2015年9・10月号』 連載《井の頭恩賜公園のあゆみ 24話》

弁天堂正面にある太鼓橋の手前に、1対の石灯籠が左右に置かれています。
台座の正面に大きく「日本橋」、そして側面に7人の名、裏面に天保四年と彫られています。弁天堂の周囲にある4対の石灯籠の中では、寄進者が少数で、刻まれた名が堂々と羽振りよさげに見えます。いったいどんな人たちだったのでしょうか。

「日本橋」の石灯籠、寄進したのは何者?

武蔵野市立中央図書館の資料室で手がかりを探していたときに、『江戸町人の研究』(西山松之助編/吉川弘文館)という全5巻の研究書を見つけました。そこに収録されていたのが、さまざまな業種に分類された屋号が並ぶ『江戸買物独案内』です。
「もしや、この中に日本橋の7人が見つかるかもしれない」と心踊らせたのでしたが、いかんせん、おびただしい数の似通った名が並んでいて、伊勢屋伊兵衛に至っては何度も出てきます。
焦点を絞りあぐねて、ダメもとで7人の名前をWEB検索してみたところ、伊勢屋伊兵衛が、江戸時代から『にんべん』の名で知られる鰹節の老舗の屋号だったと知りました。そこで『江戸買物独案内』の鰹節問屋の部をあらためて開くと、石灯籠にある丸屋彦右衛門、丸屋治郎兵衛、遠州屋助三郎の名も並んでいるではないですか。

『江戸買物独案内』は、石灯籠が寄進された天保4(1833)年を遡ること9年、文政7(1824)年の発行で、ほぼ同時代です。『にんべん』に問い合わせると、当時の伊勢屋伊兵衛は6代目で、鰹節の形をした日本初の商品券を発行した商才の持ち主だったそうで、その商品券は今も日本橋の本店で見ることができるとのこと。ただ、石灯籠を寄進したかどうかは分からない、と。

『鰹節』(宮下章著/法政大学出版局)を紐解くと、江戸時代初期は大阪が鰹節問屋の主流でしたが、18世紀以降は江戸にも問屋が増え、出産祝いや結納品にも使われるようになった背景もあって、商売が盛んになっていたと書かれています。

美味しい出汁をひくのに不可欠な水。日本橋の鰹節問屋仲間が、その水を守る井の頭弁財天を信仰し、石灯籠を寄進したと推測するに至ったのは、そんな地道な探索の結果です。

★『江戸買物独案内』は、国立国会図書館のデジタルアーカイブで見ることができます。こちらの「112」項が、冒頭のページです。

※『いのきちさん』は株式会社文伸さんが2011年11・12月号から2017年11・12月号まで、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞として発行していたフリーペーパーです。井の頭公園の歴史について合同会社いとへんの安田知代が寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

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長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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