月刊『ほっとメーッセージ 2015年10月号』 連載《ほっと一息、井の頭散歩 EPISODE1》
「吉祥寺」と「井の頭」。地名の由来をたどると、
江戸時代の人の営みが見えてきます
みなさん、こんにちは。これから一年、井の頭公園や吉祥寺について、いろいろお話しさせいただくことになりました安田知代です。
井の頭公園といえば、プロ・アクティブさんのオフィスから目と鼻の先にある緑と水のオアシスです。
吉祥寺の商業地と、三鷹・武蔵野両市の住宅地に接していて、ご近所の人たちから深く愛される憩いの場であり、遠くから人が訪れる観光地でもあります。
正式な名称は「井の頭恩賜公園」。「恩賜(おんし)」とあることから分かるように、かつて皇室が所有していた土地につくられました。
一周約1.5㎞の池を中心に、御殿山の雑木林、「井の頭自然文化園」、「三鷹の森ジブリ美術館」など、多様な施設と豊かな表情をもつ魅力的な公園で、広さは東京ドームの約8倍です。
そして知る人ぞ知る、井の頭池を源とする「神田上水(現・神田川)」は、その昔、江戸城の将軍をはじめ江戸っ子たちの水道だったのです。
その水源の守り神として井の頭弁財天は信仰され、江戸時代にも名所として知られていました。
弁財天は、いまも弁天堂に秘宝として祀られ、12年に一度、巳年の大祭にだけご開帳されます。
弁財天の持ち寺の大盛寺の記録には、徳川家光が「畔にあったコブシの樹に小柄で『井の頭』と彫りつけ、池をそう呼ぶようにと言った」との記述があります。
一方、吉祥寺の名は、万治2(1659)年に水道橋(現在の文京区付近)の吉祥寺門前町から移住してきた住民が開拓したことが由来と伝えられています。
今は「一番住みたい街」の筆頭に上げられる吉祥寺ですが、実は、江戸時代からつづく長い長い年月をかけて発展してきた街なのです。
みなさんもぜひ、井の頭公園や吉祥寺にいらっしゃる折には、江戸の名残を偲んでみてくださいね。
※月刊『ほっとメーッセージ』は株式会社プロ・アクティブさんが毎月発行している情報誌です。2015年10月号から2016年9月号まで、合同会社いとへんの安田知代が井の頭公園について寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。