ほっとひと息、井の頭散歩|⑤背景に、渋沢栄一が

月刊『ほっとメーッセジ 2016年2月号』 連載《ほっとひと息、井の頭散歩 EPISODE5》

井の頭公園のあれこれをご紹介するこのコラム、今回は、公園が造られた背景で力添えをしていた歴史的大人物をご紹介します。

井の頭公園ができた背景には、

渋沢栄一の働きかけがありました

「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、約500の株式会社・銀行の設立に関わったといわれる実業家です。群馬の豪農に生まれ、幕末の動乱期に徳川慶喜に仕え、その弟の昭武の渡仏に随行。その後、日本の近代化を推進した人物で、社会公共事業や慈善事業にも尽力した懐の深い人格者だったことでも知られています。

板橋区にある東京都健康長寿医療センターの前身である東京市養育院は、困窮者、病人、孤児、老人の保護のために明治初頭に設立された施設でしたが、そこで約半世紀、院長として福祉事業を拡大したのも、明治38(1905)年当時、小石川にあった養育院で問題視されていた不良少年の「感化部」を現在自然文化園のある御殿山に移転させ、「井之頭学校」を開設したのも渋沢栄一でした。
「就中農業に服事せしむるを最良法と為すは欧米に於いて経験する所なり」と、井の頭の御料地拝借を宮内省に交渉したのです。

そして後年、東京西郊外での公園開設の計画案を練っていた井下清(後の東京都公園課長)に相談され、「田園都市」の主唱者でもあった渋沢栄一が後押しし、御料地借用の申請が宮内庁に出され、東京市会に提出される運びとなったのでした。
公園工事の一部は「井之頭学校」の生徒たちの園芸実習として行われました。

現在、公園開園100周年の平成29(2017)に向けて、市民、地域、行政の協働で池の「かいぼり」が進められています。社会のさまざまな課題を、いろいろな立場にいる人々が力とお金と知恵を出し合って解決するよう働きかけ続けた渋沢栄一が、多くの人たちの思いと行動が結集されている様子を見たら、さぞや喜んだことでしょう。

トップでご紹介した写真は、北区飛鳥山にある「渋沢史料館」の入り口です。
渋沢栄一の軌跡をたどる展示の中には、「井之頭学校」の写真も。ぜひ一度、訪れてみてください。

※月刊『ほっとメーッセージ』は株式会社プロ・アクティブさんが毎月発行している情報誌です。2015年10月号から2016年9月号まで、合同会社いとへんの安田知代が井の頭公園について寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

投稿者の過去記事

長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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