井の頭恩賜公園のあゆみ|30話 |玉川上水の緑道

『いのきちさん31号 2016年11・12月号』 連載《井の頭恩賜公園のあゆみ 30話》

三鷹駅の方から東南方向に流れ、井の頭恩賜公園の中を南寄りに下っていく小川があります。江戸時代に人工的に作られた玉川上水です。
かつては「人喰い川」と呼ばれるほどの水量と勢いがありましたが、今は川底をひたすほどの水が流れるだけです。
周囲の木立の紅葉や冬枯れを愛でながら、歴史を辿ってみませんか。川に沿った散歩道は、土の地面。剪定された枝のチップが敷かれていて快適に歩けます。

玉川上水と散歩道は、昔の人たちからの贈り物

徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口は爆発的に増えました。そこで問題になったのが、飲み水でした。
当時はまだ海だった日比谷、日本橋、京橋、築地の辺りを埋め立てて町を広げたため、井戸水は塩気混じりで飲めなかったのです。

まずは、井の頭池を水源とする神田上水が整備されました。しかし程なく再び水は不足し、幕府は庄右衛門と清右衛門という兄弟に新しい上水を造らせました。
多摩川中流の羽村から四谷大木戸に至る約43キロメートルの玉川上水です。

現代のように精密な計測機器も馬力のある重機もない時代でしたが、承応2(1963)年4月の着工で、11月の完成という驚異的なスピードでした。
起点から終点まで標高差わずか92mでもスムーズに水が流れるよう、自然の勾配を最大限に生かした上水が出来上がりました。

玉川上水は、明治時代に近代水道の整備にあたって淀橋浄水場が造られてからも、導水路としてそのまま使われていましたが、昭和40(1965)年の淀橋浄水場の廃止後は通水されなくなり、暗渠化される場所も出てきました。
三鷹・武蔵野地域でも暗渠化や駐輪場化が計画され、それに対して盛んになったのが地元の人たちの保護運動でした。その結果、昭和61(1986)年に東京都の「清流復活事業」で水流が戻され、平成11(1999)年には東京都の歴史環境保全地域に指定され、平成15(2003)年には国の史跡にも指定されました。
こうして、水の流れと美しい緑の散歩道が、私たちに残されているのです。

吉祥寺通りと交差する「万助橋」から「幸橋」までの井の頭公園内の玉川上水は、約530メートル。とりわけ緑豊かな水の道です。過去から未来へ、大切に伝えていきたいですね。

※『いのきちさん』は株式会社文伸さんが2011年11・12月号から2017年11・12月号まで、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞として発行していたフリーペーパーです。井の頭公園の歴史について合同会社いとへんの安田知代が寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

投稿者の過去記事

長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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