井の頭恩賜公園のあゆみ|31話 |幕末の石灯籠は、弁天さんの道標

『いのきちさん32号 2017年3・4月号』 連載《井の頭恩賜公園のあゆみ 31話》

嘉永3(1850)年に建立された石灯籠が、三鷹市牟礼の神明神社の麓に立っています。正面には「井之頭辯財天」の彫り文字がくっきり。
嘉永三年といえば、ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航した年の3年前です。
弁天堂から1km半ほど離れてひっそりと佇む石灯籠。なぜ、こんな場所にあるのでしょうか。

幕末の石灯籠が、弁天様の遠くにも!

まず、石灯籠の手前に立つ看板に記された三鷹市教育委員会の説明を見てみましょう。

井の頭弁財天への道標を兼ねて牟礼村の巳待講が建てた常夜灯である。以前は高井戸から連雀への道と井の頭道の分岐する角(現在の牟礼2丁目交差点付近)にあった

……街灯のない昔の暗い道にポッと灯る石灯籠を想像すると、胸が躍ります。

神明神社の宮司さんにお尋ねすると、「現在リュミエールという喫茶店のある辺りにあったようですよ」と。
昭和44(1969)年に境内に移されたのは、地元の方々の意向だったそうです。

今は木々に囲まれて傾斜地にひっそりと隠れる石灯籠ですが、近寄ってみれば台座に堂々と彫られた「巳待講」の文字が目を引きます。側面に彫られた幾つもの名前は薄れてはっきりと読み取れませんが、繊細に施された美しい龍や狛犬の彫り物から、弁財天を信仰し巳年のご開帳を心待ちにしていた人々の思いが偲ばれます。

この石灯籠のある辺りの地名は「牟礼」と言います。江戸時代の書物には、「無礼」や「牟禮」という表記も見られます。昭和40(1965)年の住居表示整備で井の頭1〜5丁目となった地域もかつては牟礼に含まれていて、弁天堂のある井の頭池から神田川の南側一帯は「牟礼村」と呼ばれていました。
その昔、江戸方面から徒歩で来る人々には、高井戸で人見街道に入って弁財天を目指す道筋でもあり、分かれ道で迷わぬように地元の信者たちが道標を据えたのも納得です。

ちなみに神明神社は、標高60mと市内では高所に位置します。天文6(1537)年に小田原北条氏の家臣北条綱種が江戸城の守護のために、深大寺城と相対して築陣した旧跡と伝えられます。

初詣も兼ねて、訪れてみてはいかがですか。

神明神社の麓に立つ石灯籠。


住所:三鷹市牟礼2-6-12

※『いのきちさん』は株式会社文伸さんが2011年11・12月号から2017年11・12月号まで、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞として発行していたフリーペーパーです。井の頭公園の歴史について合同会社いとへんの安田知代が寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

投稿者の過去記事

長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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