井の頭恩賜公園のあゆみ|32話 |弁天さんの春の例大祭

『いのきちさん33号 2017年3・4月号』 連載《井の頭恩賜公園のあゆみ 32話》

井の頭弁財天の例大祭は、徳川家光の時代に雨乞いのご利益があったときから続けられていると伝えられる祭禮です。
弁天堂の外ではお囃子、内には荘厳なお経が響き、毎年多くの人出で賑わいます。
今年2017年は4月8日(土)に大祭、9日(日)に護摩供養が予定されています。どんな所縁のある大祭なのか、紐解いてみましょう。

時代を超えて続く、弁天さんの春の例大祭

時は、寛永8(1631)年の夏。旱魃(かんばつ)で「池中渇して一滴の水なし」という状態になったと伝えるのは、『神田御上水源井之頭辨財天略縁起』です。
弁天堂の持ち寺である大盛寺の、寛永15年の記録とされています。私の手元にあるのは、以前お守り売り場で手に入れたリーフレットに、活字で印刷された『略縁起』です。

旱魃に際しての記述を見てみましょう。
大猷院様(*1)万民をあわれみたまい、東叡山(*2)慈眼大師(*3)を請し、池水湧沸の修法を仰せられ、近郷の僧尼数百人を集め、七日の間七カ所の水加持修業ありければ、こつぜんとして雲霧大虚を包み、雷電氷雹沛然として波浪池中に巻き、龍水活潑として七カ所の加持口よりみなぎりいで暫時に瀰満してあたかも大湖のごとくなりければ、万人大師の行徳を仰ぎ、今に毎年四月八日より同十五日まで水加持修業この地の祭禮として怠慢なく祈願成就せしむものなり。

(*1)の大猷院(だいゆういん)は、家光の法名です。
(*2)の東叡山(とうえいざん)は、上野の寛永寺の山名。
(*3)の慈眼大師(じげんだいし)は、徳川家康、秀忠、家光の三代の将軍の帰依を受け、ブレーンを務めた天海大僧正で、江戸城の鬼門の場所に寛永寺を建立し、後に日光東照宮の造営を差配したことでも知られます。

旱魃に際して家光が天海に直々に頼み、大勢の僧と尼僧を集めて行われた大規模な水加持がどのような祈祷だったのか、もっと詳しく知りたくなりますが、これ以上の記述はありません。
今も毎年恒例の護摩供養では、炉に火がくべられ、香木などの供物が火に投げ入れられ、お経が読まれ、太鼓が荘厳に響きます。当時の水加持を想像する手がかりが、隠れているかもしれません。

※『いのきちさん』は株式会社文伸さんが2011年11・12月号から2017年11・12月号まで、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞として発行していたフリーペーパーです。井の頭公園の歴史について合同会社いとへんの安田知代が寄稿した記事を、こちらのブログに掲載しています。

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

投稿者の過去記事

長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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