2つの「安里屋ユンタ」

八重山(やえやま)でもっとも有名な唄といったら、「安里屋ユンタ(あさどやユンタ)」ではないでしょうか。メロディやお囃子はいかにも八重山らしく、多くの歌手がカバーしています。

では八重山の代表曲かというと、慎重になりたいところです。

この唄には元唄があって、そちらの名前も「安里屋ユンタ」。
元唄を知っている人には、あくまで元唄が「安里屋ユンタ」であり、有名なもう一方は「新安里屋ユンタ」と呼びます。

ややこしいのでここから先はわたしも、「安里屋ユンタ」/「新安里屋ユンタ」と区別します。

 

「新安里屋ユンタ」が誕生したころ

「安里屋ユンタ」を下敷きに、近代沖縄音楽の父と呼ばれる宮良長包(みやら・ちょうほう 1883〜1939)がアレンジして生まれたのが「新安里屋ユンタ」です。1934年のこと。

宮良長包は石垣島(いしがきじま)の字新川(あらかわ)の士族出身で、当地の音楽に親しんで育ち、首里の県立沖縄師範学校で西洋音楽を学びました。同校の附属小学校の教員をしていた時期を中心に、120曲余りを作曲したと言われています(沖縄戦でほとんどの楽譜が焼けてしまいました)。

ときは大正〜昭和初期。音楽界では民謡と童謡がブームになっていました。
はじめは各地の民謡の採譜やレコード化。続いて宮良長包も交流のあった作曲家・山田耕筰(やまだ・こうさく 1886〜1965)らを中心に、童謡創作運動が展開され、その主力メンバーは「新民謡」の創作に乗り出します。
新民謡とは、民謡調のメロディに乗せてその土地の特徴や風景を詠った、いまで言うところの「ご当地ソング」です(「東京音頭」などが有名です)。積極的にレコード化され、ラジオでも放送され、ご当地を超えて広く紹介されました。

このブームに宮良長包も呼応しています。早くも学生時代に八重山民謡の五線譜での採譜に着手し、童謡を数多く創作しました。

そのなかで生まれたのが「新安里屋ユンタ」です。
大筋のメロディは「安里屋ユンタ」と似ていますが、細かいところがやや単純化されています。西洋音楽を聞き慣れている耳には、元唄よりもすんなり受け入れられる印象です。

 

ほんのり八重山風の歌詞

せっかくなので「新安里屋ユンタ」の歌詞を見てみましょう。

サー 君は野中のいばらの花か サーユイユイ
暮れて帰れば やれほんにひきとめる
マタ ハーリヌ ツンダラカヌシャマヨ

サー 嬉し恥ずかし浮名をたてて サーユイユイ
主は白百合 やれほんにままならぬ
マタ ハーリヌ ツンダラカヌシャマヨ

サー 田草取るなら十六夜月夜 サーユイユイ
二人で気兼ねも やれほんに水いらず
マタ ハーリヌ ツンダラカヌシャマヨ

サー 染めてあげましょ紺地の小袖 サーユイユイ
かけておくれよ 情けのたすき
マタ ハーリヌ ツンダラカヌシャマヨ

お囃子こそ方言の元唄のままですが、作詞家の星克(ほし・かつ 1905〜1977)は主要部分をヤマトグチ(標準語)で書いています。

内容は、どちらも恋愛。
しかし「安里屋ユンタ」が琉球王府と八重山という主従を背景にした丁々発止であるのに対して(このストーリーはまた別の機会に)、「新安里屋ユンタ」は告白から成就までのラブラブ一直線。しかも八重山じゃなくても、どの地方の風景を切り取っても成立しそうな歌詞です。そんな均質的な普遍性を感じさせながら、じつは「百合」「十六夜」「月夜」「染め」「紺地」「情け」といった八重山民謡に散見されるアイテムがちりばめられています。

星克も石垣島出身。このころは、石垣島の白保(しらほ)尋常高等小学校の代用教員をしており、戦後は政治家として活躍しました。

大山伸子編・校訂『生誕120周年記念 宮良長包作曲全集』(琉球新報社刊、2003)より

 

つまり「新安里屋ユンタ」は、八重山の風習や風景を織り込みながら、八重山を超えて普及し、八重山以外の人にも親しまれることを前提として作られた新民謡でした。
五線譜に記されているために、八重山民謡の素養のない人でも、奏でて歌うことができます。
ほんわかした恋愛の歌詞は、レコードやラジオを通して初めて八重山に接した人に、八重山を牧歌的に印象づけたかもしれません。作詞家が教員だったから、子どもが口ずさめるように毒気を抜いたのかな、などと想像が膨らみます。

いまなお八重山の唄の一番手として君臨している理由は、唄そのものの良さなのか、レコードやラジオなどの媒体の拡散力なのか、異文化の香りをまとった地方への好奇の眼差しなのか。いろいろな興味をかきたててくれる1曲であることは、間違いありません。

トップ画像は「安里屋ユンタ」の舞台である竹富島(たけとみじま)の水牛車です。水牛車に乗るとたいてい、途中で「新安里屋ユンタ」を唄ってもらえます。

 

小田原澪

小田原澪合同会社いとへん 共同代表

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文化財保護や市史編纂事業に携わった後、新聞記者として6年間、東京・多摩地域を歩く。2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。多摩地域の歴史・文化、仏像、小ぎれい料理が大好物。2016年2月に八重山民謡の教室に入門し、三線と唄の練習が日課。

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