歴史散歩|新河岸川の舟運巡り Part1 旭橋から養老橋まで歩く

上の絵は、埼玉県ふじみ野市の「福岡河岸記念館」の展示パネルで紹介されていた新河岸川(しんがしがわ)の早船(はやふね)の絵です。
川越市立博物館が原画を収蔵している『早船 運賃広告』という絵で、明治時代に描かれたと想定されるとのこと。

ふわっと風を受けて膨らむ帆に書かれている数字は、毎月一と六の日、二と七の日、三と八の日……という船出の目印なのだそうです。

「早船」は、主として乗客を運ぶ船で、ご覧のとおり屋根の付いた屋形船です。
川越を出て、終着地の浅草の花川戸(はなかわど)まで、一昼夜かけての旅だったそうです。

漕ぐのは、複数の船頭さん。支流の新河岸川が本流の荒川に交わる新倉(和光市)までは棹で押し、荒川に出ると櫓を使い、風の良いときには帆をあげる。
帰りは、帆と櫓で荒川を上り、新倉で新河岸川に入ってからは棹を使い、水量や水流によっては人や馬が岸から引くこともあったそうです。

現在の新河岸川、旭橋から川下を望んだ景色がこちら。

川越から浅草までの船旅……目を閉じて、想像してみましょうか。

新河岸川の舟運で運ばれていたもの

さて、この新河岸川は、江戸時代から明治時代にかけて、物資の輸送路として栄えた川です。
川沿いに「河岸(かし)」と呼ばれる船着場が整備され、荷物を扱う船問屋を中心に、周辺には店や職人が集まって賑わったそうです。

川越方面から江戸に運ばれる「下り荷物」は、米や麦などの俵物、甘藷、醤油、油粕、綿実、材木類、薪、炭、石灰、青梅の織物や薪炭など。
江戸からの帰りに運ばれる「上り荷物」は、油、綿、反物、砂糖、天草、酒酢、塩肴類、小間物、瀬戸物、空樽など。

荷物を運ぶ船には、複数の種類がありました。
往復7〜10日の「並船(なみふね)」、急ぎの荷物を運ぶ「急船(きゅうぶね)」、さつま芋や野菜などの農作物を運ぶ「雁船(かりふね)」、鮮魚や茶などの急ぎの荷物を扱う「飛切船(とびきりふね)」。

船は、全長13〜15mで、250〜300個の米俵を積めるほどの大きさだったそうです。
特徴は、水深の浅い新河岸川にあわせた平らな船底。もし海に出たら、ひっくり返ってしまう形状なのだそうです。

新河岸川、その名の由来は?

もともと新河岸川は、「外川」と呼ばれていた荒川に対して、「内川」と呼ばれていたといわれます。
それが、寛永15年(1638)1月に川越で大火事があり、仙波東照宮が焼失し、その再建のために資材を江戸から運ぶのに川を利用したのがきっかけで、舟運の経路となり、その後、川越藩主となった松平伊豆守信綱が流路と河岸場を整備し、「新河岸川」と名付けたと伝えられます。

文字面だけ見ると、「新しい河岸(かわぎし)の川???」と疑問が浮かびますが、そんな歴史的背景あっての名前なのです。

当時の新河岸川は、上流の伊勢沼の水や、水田の水、雨水などが集まって流れ出していたそうです。
水量が豊富で、新倉で荒川と合流するまで蛇行が多く、「九十九曲がり」と称されてしました。

明治時代までに23ヶ所の「河岸場」ができ、それぞれで扱う荷が違っていました。


↑ 「河岸場と河岸道」(ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館)より

旭橋から養老橋まで歩いてみました

そんな新河岸川の川沿いを、歩いてみる機会を得ました。
2018年5月10日(木)、『NPO法人 大人の学校』主催の「川越と江戸をつないだ新河岸川 舟運跡をたどる」に参加したのです。

東武東上線の新河岸川駅から、まずは砂氷川神社へ。鳥居の脇にある、幹周り4m近くあるシラカシが圧巻でした。

そして、新河岸川にかかる旭橋へ。駅からここまで約800mほどでしょうか。

旭橋のすぐそばに、川越市教育委員会の「新河岸川河岸場跡」の説明板も立っています。

そのほど近くに、かつての船問屋「伊勢安」さんがあります。

敷地内に入れていただくと、左手にお蔵が3つ並んでいます。
手前から、米蔵、味噌蔵、素麺蔵だったそうです。

お蔵の外壁の、上の方に渡し掛けられている長い棒は、船の帆柱です。
いつぐらいまで使われていたものなのでしょうか。
通船停止の命令が出たのが昭和6年(1931)なので、仮にその時まで使われていたとすれば、かれこれ90年近く大切に保存されてきたことになります。すごいですね。

船問屋「伊勢安」さんを出て、道の向こう側を望むと、川岸が見えます。
今は家が建っていますが、かつては川岸まで開けていたと思われます。

川辺に出ると、船着場の名残が。

そこから一旦、旭橋まで戻って対岸に渡り、川の流れに沿って歩いていきました。

あいにくの雨で、大きな水たまりがあちこちに。
少し歩きづらかったですが、鮮やかな紫色のクサフジが道端に咲き誇り、目を楽しませてくれました♪

そして川沿いには、静かに空を映す田んぼも♪

蛇行する川も、穏やかで優しい表情でした。
川幅は、いかほどでしょうか。遠目なので定かではありませんが、5m〜10mくらいでしょうか。
昔はもっと広かったのか、それとも、こんな川幅でも船が行き来していたのでしょうか。
詳しく調べてみたくなりました。

そして旭橋からおよそ3kmほど、養老橋に着きました。
川の両岸に渡し掛けられた鯉のぼりの向こう側、写真の真ん中あたりにある一番高い屋根が、「ふじみ野市立福岡河岸記念館」です。
河岸の一つである福岡河岸にあった船問屋、「福田屋」を改修した記念館です。記念館については、「歴史散歩|新河岸川の舟運巡り Part2 福岡河岸記念館で見たこと聞いたこと」で詳しくご紹介しています。ぜひご覧ください♪

この日の経路は、東武東上線 新河岸駅→砂氷川神社→ 新河岸川の土手 →ふじみ野市立福岡河岸記念館 →東武東上線 上福岡駅でした。
全部歩いて6kmほどでしょうか。

ご興味のある方、ぜひ歩いてみてください♪
東武東上線で池袋から30〜40分ほど。住宅地が広がる郊外ですが、土手は車の通りがなく、景色もよく、快適に歩けます。
地図上の緑の線が、歩いた道筋です。

素敵な企画を実施してくださった生活クラブ生協の「NPO法人 大人の学校」のみなさんに、ありがとう!

次は、どこを歩こうかな♪

 

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

投稿者の過去記事

長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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