お蚕さん日誌|8月31日|黒澤明『用心棒』と桑畑のトリビア

黒澤明監督の作品『用心棒』をホームシアターで観た。
我が家の「ホームシアター」は、つっぱり棒に白いシーツをかけ、そこにプロジェクターで映すというシンプルな設えなのだが、テレビなんかでDVDを観るよりよほどシネマムードが楽しめる。

簡易ホームシアターの仕組みはさておき、今日なぜ『用心棒』を観たかといえば、東京農工大学の「蚕学研究室」の横山岳先生から興味深い話を聞いたからだ。
7月21日に「新しい養子を迎えました」で書いたように、三鷹市の生涯学習課が主催する連続講座「蚕のいる暮らし 養蚕の歴史を学ぼう」に参加し、蚕の育て方をはじめ、蚕や桑にまつわる歴史や産業についてのいろいろなトリビアを教えていただいた。その1つが、『用心棒』の冒頭シーンについてのトリビアである。

さて、『用心棒』は1961年公開の映画。
その時代のシネマスコープの横長画面が存分に味わえるのは、「ホームシアター」ならでは。テレビ画面なら上下の黒の面積ばかりが大きくなるだろうから、この迫力には及ぶまい。シーツはテレビを凌駕する。

さて、冒頭。
風来坊の浪人が歩いている。名優、三船敏郎の登場である(ちなみに、この映画で三船敏郎はベネチア国際映画祭主演男優賞を受賞している)。

歩みを進めるうちに、周囲の景色が広がって見えてくる。
ぼうぼうと生えているのが何かといえば、桑である。

ずーっと広がる桑畑である。

さて、この桑畑の生えかたが問題である。というのが、横山先生のご指摘だ。

見てのように、ここに生えている桑は、根元から枝が上に広がるように伸びている。
なぜそんな生えかたをしているかというと、根元からばっさりと枝を剪定する手法で手入れされているからである。

剪定しなければ、桑は通常の樹木のように幹を太くし、枝を広げていく。しかし蚕に食べさせる葉を摘むには、踏み台やはしごを使って木に登るという労力が必要になる。
そこで昭和初期から広まったのが「条桑育(じょうそういく)」。蚕に葉を与えるときは、条(枝)ごと与える。そして、飼育期が過ぎると、桑の根元でばっさりと剪定する手法だ。
効率良く大量の蚕を育てられるこの手法が確立された時期が、まさに映画『用心棒』が撮影された昭和30年代に重なるのだという。

つまり。
『用心棒』の時代には、この風景は存在しなかったというわけだ。時代考証的には、この「条桑育」の桑畑の風景はNG。江戸時代後期の桑畑なら、立木のまま桑を育てる「立通し」の風景であっただろう、というのである。

……というトリビアを知らなければ、私がこの風景を桑畑であると認識するのは、三船敏郎演ずる浪人が名前を尋ねられるシーンに至ってからだっただろう。外の風景に視線を泳がせ、「俺か、俺の名前は桑畑三十郎だ」と言うシーンだ。
あるいは、このトリビアを知らなければ、桑畑と名前の関係には気づかずにスルーしてしまったかもしれない。

知っていると面白い。
知らなければ味わえない。
まだまだ味わえていない未知が、広大な海のように広がっている。
だから生きるのは、面白い。

黒澤明の映像は、印象的だった。味わい深かった。
宿場町の2つの対立勢力が、ふらっと現れた桑畑三十郎に煽られて殺し合い、壊滅状態になって終わるストーリー。黒澤明が何を伝えたかったのか、深く考えさせられもした。
が、では他の黒澤作品、あるいはイタリアでリメイクされた『荒野の用心棒』を連続して観たくなったかというと、そうでもなく、私は、なんというか、そう、かっこいい女性が出てくる映画が観たくなったのだった。
歴史に残る映画監督の作品とはいえ、『用心棒』は骨の髄までマッチョな世界であった。

桑畑について詳しく知りたい方は、横山岳先生の「シルク豆辞典〜冬の桑畑と桑の剪定」をどうぞ。

 

安田 知代

安田 知代合同会社いとへん 共同代表

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長年、フリーの編集者・ライターとして活動後、2012年から仲間とともに合同会社いとへんを運営。著書『井の頭公園*まるごとガイドブック』(2008年ぶんしん出版)、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(20011年ぶんしん出版)など。郷土史の小ネタを調べるのが大好き。目下、多摩の山々の歴史を探索中。2015年末に原田病を発症し、ステロイド投薬による免疫力の低い身体と仲良くする方法を模索する日々を過ごしている。

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